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戦国
もし家康が秀吉に臣従していなかったら?秀吉は「外堀」から埋めてきた
小牧・長久手の戦いで、家康は秀吉と互角に渡り合いました。局地戦では秀吉方の名将を討ち取り、むしろ勝ったと言ってもいいくらいです。それなのに家康は、1586年に大坂へ出向き、秀吉に頭を下げます。 もし家康が臣従せず、秀吉に逆らい続けていたら。私... -
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もし根白坂で島津が秀長に勝っていたら?それでも島津は勝てなかった三つの理由
大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、いよいよ九州攻めが見えてきました。四国攻めに続いて、ここでも総大将をつとめたのが秀長です。その九州攻めの山場が、日向(宮崎県)で島津の大軍とぶつかった根白坂の戦いでした。 では、もし根白坂で島津が秀長に勝ってい... -
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もし小早川秀秋が「木下家」の大名として家を構えていたら?ねねの一族に足りなかったもの
豊臣家の親族というと、秀長や秀次が思い浮かびます。でも、もうひとつ大事な一族がいました。ねねの実家、木下家です。ところがこの木下家、ふたを開けてみるとみんな小大名ばかり。いちばん大きくなった秀秋は、「小早川」という別の家に出されてしまい... -
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もし千利休が切腹しなかったら?秀長のいない政権で、利休の力は弱まるしかなかった
大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、吉岡秀隆さん演じる千利休が登場しています。秀吉のそばで茶の湯を仕切り、大名たちからも頼りにされた利休。けれど1591年、秀長が亡くなったわずか1か月後に、利休は秀吉から切腹を命じられました。 では、もし利休が切腹... -
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もし筒井家が豊臣の一族になっていたら?ねねの縁で大和に残る道はあったか
大河ドラマ第37回で、筒井定次は大和から伊賀へ移されました。秀長に国をゆずる形で、筒井家は代々の地を離れます。見ていて「なんとか残る方法はなかったのか」と思った方も多いのではないでしょうか。 私なら、早いうちに豊臣家と血のつながった親族にな... -
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もし秀長が大和の寺社に屈していたら?「優しい秀長」が大和で鬼になった理由
大河ドラマの第37回・第38回で、秀長は大和の国に入りました。検地をしようとすれば僧に反対され、仏罰を恐れる領民にまでそっぽを向かれる。郡山の町を盛り上げようとすれば、奈良の豪商たちが動かない。見ていて「秀長、大丈夫か」とハラハラした方も多... -
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もし北条と伊達が組んでいたら?それでも秀吉には勝てなかった
1590年、秀吉は20万をこえる大軍で小田原城を囲みました。関東の北条は籠城し、奥州の伊達政宗は迷いに迷った末、ぎりぎりで秀吉のもとへ駆けつけます。首の皮一枚でつながった、と言われる参陣です。 もし北条と伊達が手を組んで、一緒に秀吉と戦っていた... -
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もし豊臣秀吉に家康と同じくらい子どもがいたら?豊臣家は家康に勝てた
天下を取った秀吉と、そのあとを奪った家康。二人の差はどこにあったのでしょうか。私は、いちばん大きな差は「子どもの数」だったと考えています。 もし秀吉に、家康と同じくらいたくさんの子どもがいたら。先に私の答えを書きます。豊臣家は家康に勝てた... -
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もし秀吉が朝鮮出兵をやめていたら?内政で豊臣政権を固め、一族で殺し合わない天下
もし秀吉が朝鮮出兵をやめていたら。内政に力を入れ、大名をつぶさず、普請手伝いで疲れさせない。五大老に秀長と秀保を入れ、秀次とは話し合って関白を秀頼にゆずってもらう。一族で殺し合わない豊臣家の「もしも」を考えます。 -
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もし七将と石田三成たち奉行の仲が良かったら?関ヶ原は起きなかった
関ヶ原の戦いは、家康対三成の戦いと言われます。でも本当は、豊臣家の家臣どうしの内輪もめだったと私は思っています。加藤清正や福島正則ら「七将」と、石田三成ら奉行たち。この二つが割れなければ、家康につけいるすきはありませんでした。 もし七将と... -
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もし豊臣秀長があと10年生きていたら?豊臣家は延命できても、天下は家康へ
大河ドラマで、兄・秀吉を支える秀長の姿に引きこまれている方も多いと思います。秀長は天下統一の直後、1591年に52歳で亡くなりました。そこから豊臣家は、坂道を転げ落ちるように崩れていきます。 では、もし秀長があと10年生きていたら? 先に私の答え... -
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もし私が秀吉だったら?鶴松が生きていたら、一門の配置で家康をおさえこむ
もし鶴松が生きていて、私が秀吉だったら。跡継ぎの順番、ねねと秀次の後見、東海道に並べる一門の配置、伊達・上杉・真田らとの関係、秀次を殺さず子どもたちの縁組で一族を増やす策まで。家康を関東に封じこめる「もしも」を考えます。 -
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もし上杉謙信が49歳で死ななかったら?戦では織田に勝てても、天下は信長だった
1578年3月、越後の春日山城で、上杉謙信が突然倒れました。厠(トイレ)で倒れたと伝わり、そのまま意識が戻らずに亡くなります。49歳。前の年には加賀の手取川で織田軍を破り、まさにこれからという時でした。 では、もし謙信が49歳で死ななかったら? ... -
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もし大友宗麟が道を誤らなかったら?島津と龍造寺を封じこめ、九州三国志のまま秀吉と向き合う
九州の六か国を治め、一時は九州最大の大名だった大友宗麟。ところが1578年、日向の耳川の戦いで島津に大敗すると、大友家は坂道を転げ落ちるように力を失っていきます。最後は自分から大坂城の秀吉のもとへ出向き、助けを求めるまでになりました。 では、... -
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もし秀頼が関ヶ原に着陣し、松尾山城に陣取っていたら?豊臣の本陣旗に東軍が凍りついた世界
1600年9月15日、関ヶ原。西軍の総大将・毛利輝元は大坂城にとどまり、豊臣秀頼も城を出ることはありませんでした。東軍に加わった福島正則や黒田長政たちは、「これは三成との戦いであって、豊臣家との戦いではない」という建前で戦うことができたのです。...
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